2020年 10月19日 月曜日
俺のセブ島留学 学校 学校代表寄稿 ブリリアントセブ・イングリッシュアカデミー代表の開校に至る想...

ブリリアントセブ・イングリッシュアカデミー代表の開校に至る想い

この度、初めてブログを連載させて頂くこととなりました。ブリリアントセブ・イングリッシュアカデミー代表の高橋吉昭と申します。

個人でもブログを今まで書いたことがない人間ですが、海外で会社を興し、教育機関の代表としてこれからセブ島で英語スクールを開校するに至る想いから、更には海外生活の楽しさまで、ブログを通して皆さんにお伝えさせて頂きます。

ブリリアントセブという学校はどんな英語学校?

ブリリアントセブに来られる留学生は大学生がメインではなく、
30代~からの大人の方が落ち着いて、自身のペースで集中し英語を学べる環境をコンセプトに運営しております。

マンツーマン授業も1日みっちり受講出来しっかりと英語モードに入れます。

今まで開校して4年目になりますが、今まで留学に来られた方のご職業は、会社経営者及びその管理職、退職してからのキャリアアップの方、投資家、医師、看護師などの医療系の方、大学教授、その他は絵本作家、音楽家、映画プロデューサー、ダンス講師など様々な職業の方が当校で学ばれております。年齢層も20代~70代までと幅広く、様々な年代の方にも支持されているのが嬉しいですね。

講師も現在全員レギュラー採用をしており開校から現在まで講師のプロ意識改革に特別力を入れております。

“ブリリアントセブ・イングリッシュアカデミー”代表の開校に至る想い。

当スクール建物最上階のペントハウスのラウンジで撮影した講師の集合写真

また学校での生活環境も、広めのキッチン付き滞在部屋と、スクール、展望レストラン、スポーツジム、売店が同じ建物内で通学の必要がなくしっかりと英語学習に集中できます。

“ブリリアントセブ・イングリッシュアカデミー”代表の開校に至る想い。

スクールと同じ建物内にある当校の生徒さまが滞在するお部屋

なぜフィリピン・セブ島で英語学校を設立したのか。

初めに英語学校設立に至ったまでの、私の生い立ちを簡単にご紹介致します。未だ多くの日本人は英語を苦手とする人が多いですよね。私もその1人でした。

理由は、学校で興味の無い単語のスペルを何度も書かかないと覚えないという、途方もない方法に嫌気があったのと、話す相手がいないのに英語を学ぶ必要性に素直に疑問がありました。

要するに、英語を話す楽しさを知らなかったのです。

その後、高校2年の夏に初の海外渡航で、家族でシンガポール旅行に行く機会に恵まれました。※我が家はサラリーマン家庭で裕福ではありません(笑)
そこで滞在したホテルでの出来事。チェックイン後直ぐに、ホテルの部屋には歯ブラシが置いて無いことに気付き、父親に言いました。

私:「歯ブラシが無いよー!」
父:「そうか、なら下降りて、ホテルの受付けの人に歯ブラシはどこにありますか?って英語で聞いてきな。」
私:「。。。」
その時、英語での簡単なトラベル英会話は観光ブックに少し載っていましたのでそれを参考に英語で試しにフロント前にいたベルボーイの人に聞いてみました。
私「うぇあ~きゃな~いはぁぶ~てぅ~すブラシ?」
ホテルマン「Yes, We have a toothbrush.」「Just a moment please I’ll be right back」

と言っていたのではないかという想像です(笑)その後すぐに歯ブラシを手元に持ってきてもらいました。

顔は確かインド系の顔をしたホテルマンでした。完全に日本人ではない人と初めて英語で自ら話しかけ、相手が自分の言いたい事をキャッチしてくれた時、今までに無い不思議な感覚と喜びがありました。

またそのホテルマンが、きらびやかなホテルで、かっこ良い制服を着て、英語を話している姿に自然と憧れました。この時に当時将来の自分のやりたい職業を決めた瞬間でした。

高校2年の夏です。

帰国後、すぐにホテルで務めるならやはり英語を勉強したい!という思いから、幸運にも英会話のNOVAに当時通わせて頂き沢山外国人講師と話し、英語でコミュニケーションを取ることがこんなにも楽しいのだと自分でも驚きがあったぐらいです。

そして平行して、東京中野にあるホテルマンを目指すには一番評判の良かった「専門学校日本ホテルスクール」という高レベルのサービスの訓練が受けれ、卒業したら大手ホテルに就職が一番し易いという定評のある学校を自分で探し、両親を説得し入学手続きを進めていました。

人は若くても目標を持って、決意した後の行動は早いですね。

アメリカ・シアトルでの約1年間の語学留学経験

アメリカ・シアトル

ホテルスクールに当時のプログラムで1年間アメリカ・シアトルに語学留学をするコースで入学しました。※親のスネかじりまくっている時期です(笑)
当時はやはり、今でも留学神話にありますが、

『アメリカに1年も身体を置いて住んでいたら英語ペラペラになれるでしょ。』

という非常に甘い気持ちが私自身もありました。

そのため、英語を一生懸命勉強するというよりも、当時19歳だった私はアメリカのティーンに憧れ、服装から当時のアメリカの若者が良く使うスラングなど、汚い言葉を覚えたり、また音楽もアメリカのラジオに良く流れているヒップホップ、R&Bなどあまり日常会話では粗使わない英語など覚えたりと、今考えると非常に困った留学生でした。

アメリカでの語学留学では、授業が午前中のみでその日が終了となり、授業数が少なく、講師1人に対して学生8名、もしくは講義のように講師1名に30名の学生が授業を一方的に聞くという授業になり、あまり英語が沢山話せるという機会は少なかったように思えます。

ですので「欧米留学では授業に頼らずに、外で外国人の友達を作らないと英語なんて伸びないよ!」と言われているのです。

しかし、正直申し上げますと、アメリカ人(英語ネイティブ)は英語が片言な留学生と本気で友達になろうとは思いません。

なぜなら、当然当時の私の英語力を考えますと、当時彼らが言ったことが私に聞き返されたり分かったふりをされたりという、言葉の壁が大き過ぎてそれを我慢できる程、『I LOVE JAPAN』なアメリカ人はマニアでない限りいないのです。

ですので、アメリカ人と友達になるというよりも、当時同じく留学に来ていた、韓国人、台湾人、マレーシア人などと交流をもつようになりました。

アメリカに行くと、アメリカ人と仲良くなるよりも、同じ英語を学ぶアジア人同士で近い存在として親近感を持ち、一緒に食事に行く機会が多いのではないでしょうか。

ホームステイ先の同じルームメイトだった台湾人との会話は、お互い英語で言いたいことが分からないと、漢字を書いて意味を理解するなど、それも今は良い思い出です。

台湾人、中国人には、漢字で書くと伝えたい意味が全てではないですが少し伝わるのですよね。

私はいつもまわりの環境に恵まれ、友人のホームステイ先の家族は全く交流が無い、もしくは対応が酷いということをよく友人から聞いておりましたが、私のホームステイ先のアメリカ人家族には非常に良くして頂き、頻繁に食事も一緒にし沢山交流ができました。

“ブリリアントセブ・イングリッシュアカデミー”代表の開校に至る想い。

ホームステイ先の家族と、台湾人のルームメイトとその友人。
髪が長いですが真ん中が私です(笑)

“ブリリアントセブ・イングリッシュアカデミー”代表の開校に至る想い。

自分の部屋の暖炉にアライグマ家族が住み着いていて、彼らを発見した時

“ブリリアントセブ・イングリッシュアカデミー”代表の開校に至る想い。

留学時にハワイのホノルルマラソンにひっそりと参加した時

ホテルスクールでの授業

ホテルスクールでは留学期間を除いた計2年間、ホテル業界では名の知れた講師から授業を受けました。英語講師も当時タイガーウッズの通訳をされた方など印象強い素晴らしい講師が揃った環境でした。

授業以外の、実際のホテル研修でも多くを学びました。新高輪プリンスホテル、ホテルニューオータニ、東京プリンスホテル、芝パークホテルのレストランでのウェイターやベルボーイと、一流のサービスを実際目にし、そして政界の人から有名スポーツ選手、著名人まで沢山の方と業務を通し接する機会が持てたことも良い刺激になりました。

また外国人のゲストの方とも触れ合う機会も多くありました。

ベルボーイの時はゲストにお部屋案内の後、建前上チップを断わり、「あっ大丈夫です、結構ですよ。お気持ちだけで!」と断りながら貰えた時は最高の気分でした。

※日本のホテルではチップは必要ないですが、外国人はそれでも気持ちを伝えるために渡したりすることがあります。

スクール内外でもテーブルマナーから立ち振る舞い、目配り気配り心配りと相手の立場に立ち、どのようなサービスを提供したらお客様に喜んで貰えるのか。という今の経営にも繋がる必要なことを学んだ時でした。

そして、これらの経験を活かし、留学後海外勤務に憧れた私は、世界最大級のクルーズ会社のロイヤルカリビアンクルーズに応募し卒業後、ビザの手続きを終え直ぐに渡米。

クルーズ内のダイニングルームのウェイターとして

クルーズ内のダイニングルームのウェイターとして
今では多くの日本人もクルーズ旅行をするようになりましたが、当時日本人の乗客はほとんどいませんでした。ましてや、日本人の従業員は私ともう1人の計2名のみ。

当時はSNSなども無かったですので、ましてはカリブ海の船上で電話も使えません。完全に日本語話す相手に餓えていた状況です。

航海ルートは主に、
マイアミ→ハイチ→プエルトリコ→セントトーマス島などのバージン諸島→バハマ→マイアミ。たまにジャマイカも寄ります。を1週間周遊クルーズ。

会社からの支給は月1万円程。後は全て自分のゲストからのチップ(粗義務付け)です。半年間は休み無し。部屋は2畳程の船底で二段ベッド、で2人部屋のルームシェアでした。

クルーズの従業員は700~800人、ダイニングルームのウェイターで50人~60人程はいたと思います。皆世界各国からアメリカで働くいわゆる出稼ぎです。

国は様々で、中南米から、チリ、パラグアイ、トリニダートトバゴ、ジャマイカなど、ヨーロッパからは、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ハンガリー、トルコ、ポーランド、ルーマニア、ブルガリア、チェコ、リトアニア、アフリカ大陸から、南アフリカ、チュニジア、モロッコ、アジアから、インド、タイ、中国、インドネシア、そしてフィリピンなどです。

30ヵ国程の仲間と、一緒に休みなく毎日寝食を共にしました。

クルーズ内のダイニングルームのウェイターとして
最初、ダイニングルームマネージャーはチュニジア人。初めて聞くチュニジア訛りの英語での簡単な指示さえも早口で聞き取れず呆れられました。

「なんで英語が通じないやつがここにいるんだ!」

と言っていました(笑)

当時は気合いを入れて渡航前に英語もやり自信を持って行きましたが、チュニジア訛りは初めてで、独特な巻き舌アクセントは後に慣れましたが、最初は全くダメでショックを受けました。

初めて参加した全体ミーティングでも彼は英語で話しているんだよね??と隣の同僚に聞き直した程です。

彼も含め、海外では自身の発音を気にする人は1人も会ったこと無く、アクセントの強いインド人もトルコ人でも皆堂々とその国のアクセントで英語を話し、相手が聞き取れないのは相手の問題という。そんな図太さが日本人にも必要なのかと思います。

あと、そのチュニジア人のマネージャーはチュニジア位置を「Part of Europe」と言っていましたが、地図で見るとヨーロッパ側に面した、どう見てもアフリカ大陸だったことは今でも気になります。チュニジア人は母国をヨーロッパの一部と思っているのかもしれません。

そして良くアラブ系の同僚には、「サムライ、ニンジャ、ミツビシ」などと呼ばれたりします(笑)。日本人のイメージがそれらしいです。

乗客は7割がアメリカ人、他メキシコ人2割、その他ヨーロッパ、アジアから。という環境です。この人種が入り乱れた、誰も知り合いがいない環境でやりきった経験が今の自分の自信となっています。

ダイニングルームのウェイターの仕事とは、単に注文をとり飲食を提供するのでは無く、絶対的に乗客に対しエンターテイナーではなくてはいけません。

毎週土曜日の夕方に新しい乗客を乗せ、次週の土曜日の朝にマイアミに戻るというルーティンになります。そこで、毎晩指定のテーブルに割り振られた決まった乗客を自分のお客様として毎晩サービスしていきます。

ウェイター2人チームで、10人テーブルを2つ計20人同時に受け持ちます。それが、18時からと、20時半スタートからのと一斉にサービスし計約40人を毎晩自分がサービスする担当の乗客になります。※イメージとしては結婚披露宴に似たイメージです。

名前、顔は全員直ぐに覚えなければいけません。アメリカ人は体形が大きく、日本人から見たら皆似た容姿の人も多く大変です。

また、好きな飲み物、コーヒー派なのか紅茶派なのかまた、コーヒーでもカフェイン抜きのディカフェなのか、紅茶の種類、食べ物の好みまで、必死に覚えます。

何度も同じ方に同じ注文を聞けませんし、その方の好みを覚えていることが、自分を気に入ってもらえるかの勝負なのです。

私はあまり記憶力が良くない方ですので、自分のメモにここのテーブル席のこの柱側のこの席に座る髭の男の人の名前はスティーブで~、とメモっても次の日に違う席に座ってしまい、他のまた似たような容姿の髭を持つ方がその席に座ったりするともう分かりません(笑)

必死に顔、口ひげ、体形などと名前を照らし合わせ1日で記憶します。

クルーズ内のダイニングルームのウェイターとして
また家族で来られている方は必ず子供さんを喜ばせ、コミュニケーションを取り、スペシャルデザートをオリジナルでアレンジし驚かせ、ナプキンで動物を作ったり、と色々やります。

各ウェイターは自分の担当の乗客をいかに満足させれるかで、金曜の晩の最後のディナーの後に貰える1週間分の封筒に入ったチップの金額にかかってくるのです。

またサービスした自分の乗客から最後に評価シートを会社に提出します。その乗客の評価が低いウェイターは翌週受け持つテーブルを減らされその分チップが減ります。

また評価が高いウェイターはテーブルを増やして貰え、その分大変ですが自分の担当する乗客が増えるということはチップの額も増えます。そのようなシステムですので皆必死です。

海外の人と比べると日本人は良く働くと思っていましたが、どの国のウェイターも頭を捻らせ、どうしたら効率の良いサービスが出来るのか工夫し努力が凄かったです。

上司も非常に厳しく、ごまかし、ショートカットなど許して貰えない恐い存在であり厳格でした。ここでは仕事に対し向き合う本気さ、努力には国籍など関係ない、彼らのアグレッシブさには、いつも日本人の代表として負けていられないと実感した時です。

ビジネスとして考えるとシステムが非常に効率的で、顧客満足度が絶対的に上がります。

また乗客からしたら、人生で何度も無いクルーズ旅行で、毎日サービスをする自分の担当のウェイターに注目します。

何で自分は日本人で、ここで働いているのかなど、自身のことから、相手の興味のあることなど、また面白い話をし、笑わせたりと、20人を同時にサービスしながらのコミュニケーションは時間が限られた中で大変ですが必要です。

同僚のインド人は印象として皆非常におしゃべりで、英語も得意だからなのか、良く自分の乗客をサービス中に笑わせていました。

毎晩ディナーの時間が指定されているので、時間になるとダイニングルームのメインドアが開き、一斉に乗客が傾れこむようにダイニングルームに入り指定のテーブル席に座ります。

この一斉に20人に注文を取り、20人分の飲み物を用意し、前菜、サラダ、スープ、メインコース、デザートを運ぶのに、裏のダイニングルームと同じ程の広いキッチンに入り、用意するのが大変なのです。

何故かと言いますと、裏はウェイター同士がトレイを持ち衝突しないように一方通行になっているのです。その為、毎回何かを取り行くのに、学校の体育館程の広さの裏のキッチンを大きなトレイを肩に担ぎ、一周しなければなりません。

例え、1人注文を取る時間がズレ、飲み物1つ取りに行くにも1周しなければなりません。ですので、皆同時にサービスをしていかないと時間が足りず回らなくなるのです。

また、各ウェイターが自分の担当の乗客何百人の飲み物を一斉に最初に取りに行くので、裏のソーダマシーンはガスが切れる、ソーダが出ないトラブルなど毎回なります。

また、サラダ、スープ、メインコースなども同じ時間帯でウェイターが裏に取り行くので行列ができています。勿論乗客は、自分のウェイターが注文とった後に裏のキッチンから時間がたっても戻って来ない時の理由など知る由もありません。

このように障害物競走のような日が毎晩繰り広げられるのです。上手く業務を回すために非常に頭を使います。

クルーズ内のダイニングルームのウェイターとして
左の彼はルーマニアから、右がブルガリアからの同僚。この日はフレンチDayのためフランスの国旗の色が入っているエプロンを着けます。

クルーズ内のダイニングルームのウェイターとして
業務後、クルーズ会社が持つハイチのプライベートビーチでの写真。皆国籍がバラバラ過ぎるので割愛させて頂きます。

ブリリアントセブ・イングリッシュアカデミー
代表 高橋吉昭(たかはし よしあき)

BRILLIANT CEBU(ブリリアントセブ)の学校詳細はこちら
ブリリアントセブ・イングリッシュアカデミーのHPはこちらから

高橋 吉昭 (Brilliant Cebu)
高橋 吉昭 (Brilliant Cebu)
BRILLIANT CEBU 代表

1978年生まれ、横浜市出身

学生時代にアメリカ・シアトルでの留学経験を経て世界最大のクルーズ会社Royal Caribbean International に入社。

アメリカ、カリブ海を中心とした大型豪華客船クルーズで世界30ヶ国以上から集まる仲間と共にダイニングルーム、ウェイターとして従事。

帰国後、外国為替投資顧問会社、大手不動産会社の管理職を経て現在、フィリピン、セブ島に於ける英語留学事業、A1インターナショナル株式会社(日本法人)、語学スクール運営、Brilliant Cebu English Academy Inc.(フィリピン法人)、Brilliant English Vietnam Inc.(ベトナム法人)のCEO、2012年NPO留学協会、東海事務局長。

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